里平鍬四郎の頭骨を探しています。

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[公開日:2025/09/14] [更新日:2025/09/29]

概要

強制移住

1914~1916年(大正3~5年)、明治時代から計画され実行された御料牧場の設置により、新冠に住むアイヌは上貫気別へ強制移住させられました。

彼らは、未開の地であった上貫気別(現平取町旭)への強制移住と開墾を余儀なくされました。当時の暮らしは相当大変なものでしたが、それでも彼らは上貫気別の地を開墾し、家を建て畑をつくり、暮らしを安定させるために必死に努力を重ねました。

北海道大学医学部による遺骨の収集

昭和8年10月28日、その地で亡くなり埋葬された里平鍬四郎を含む6名のアイヌの墓を、北海道大学医学部の教授・学生らが研究と称して墓を暴き遺骨を持ち去りました。

なぜアイヌの遺骨を収集したのか?

明治時代に入り近代化や文明化といった波が押し寄せ、当時の日本は欧米に追い付け追い越せと活発になっていました。北海道には現在の北海道大学(旧帝国大学)が設置され、開拓と同時に研究も盛んになっていたようです。

同時期に、日本学術振興会という組織が設立され、その初期メンバーに東京大学の形質人類学の小金井良精などもおり、人類学的研究についても推進する方向となっていました。

小金井良精はアイヌの遺骨の研究においては第一人者であり、北海道大学医学部の児玉作左衛門や山崎春雄などが、彼の後を追うようにアイヌ遺骨を収集し研究していました。

彼らがアイヌ民族の骨を研究対象にした理由は、和人が他民族と比べて優れた民族であることを証明するためといった、人種主義的な理由であったと聞いたことがあります。

その中で、新冠から上貫気別へ強制移住させれたアイヌたちの墓も暴かれ、研究用途で持ち去られてしまったのです。

とくに頭骨を研究に用いる事が重要だったらしく、アイヌの頭骨の容積や外周などのサイズを計測していたようです。大場利夫は、昭和30年(1955年)に上貫気別を含む計36体のアイヌの頭骨を計測・研究し、医学博士号を取得しています。

そして、時代が流れ形質人類学そのものが衰退し、それに合わせてアイヌの遺骨収集・研究も流行が終わったかのように、忘れ去られていきました。

アイヌ遺骨問題

北海道大学には、最終的に1500体ほどのアイヌの遺骨が集められました。そしてその遺骨たちは、獣医学部の倉庫に他の動物などの骨と混在した状態で雑然と放置されていました。それを1980年に海馬沢博氏がつきとめ世間に告発し、いわゆる「アイヌ遺骨問題」が表面化されました。

2016年に入り、浦河町の杵臼から掘り出されたアイヌ遺骨の返還が、コタンの会によって実現されました。また、北海道大学内では、約5年をかけて動物の骨と一緒くたにされていたアイヌの遺骨を、ばらばになった手や足、頭の骨などを個体別に整頓する「遺骨の一体化作業」が行われていました。1500体あるアイヌの遺骨をひとつひとつ一体化する作業は本当に大変だったと思います。この中から16体が氏名や収集の経緯などが判明し、それを「個人特定遺骨」と北大は定義しました。

個人のわからないたくさんの遺骨は、収集した地域はわかるものは「地域返還」として、コタンの会をはじめとした地域のアイヌが中心となった様々な団体により、元の住んでいた地域の土へ戻すという活動が実現されました。「個人特定遺骨」はその子孫の名乗り出があった場合に子孫へ返すということとなりました。

里平鍬四郎の遺骨が北大にあると判明するまで

2016年9月1日に、北海道大学は個人特定遺骨を子孫に返すという告知を北海道大学ウェブサイトに「お知らせ」として掲載しました。

そのページには、16体の個人特定遺骨の氏名は伏せられ、掘り出された年と地域、その遺骨の年齢・性別などが記載された一覧表となっていました。里平鍬四郎も、名前は伏せられていますがこの一覧のひとつでした。私は、独自に調査を進めて北大の上貫気別の遺骨のひとつが里平鍬四郎であることを突き止め、遺骨返還請求をし、2023年2月8日に、里平鍬四郎の遺骨を返してもらいました。しかし、その遺骨には頭骨がありませんでした。

頭骨を探すために

前述のとおり、大場利夫は1955年(昭和30年)に里平鍬四郎の頭骨を含む36体の頭骨を計測し、それによって博士号を取得しています。その時までは里平鍬四郎の頭骨は北大にあったはずです。なぜ今頭骨がないのかは、北大に何度聞いても「わからない」の一点張りで、今後も里平鍬四郎の頭骨を探したり調査することも一切しないとのことでした。

仕方なく頭から下の部分だけを返してもらい、あったはずの頭骨は自分で探すしかないと、結論に至りました。2016年9月1日からはじまり現在に至るまでに、たくさんの調査をし、いろいろな専門家の意見も聞いてきました。骨の成分を研究しているある医者の方にこの話をしたところ、「研究者は、研究資料をぜったいに雑には扱わない。きっとその頭骨も、捨てられたりしたのではなく、どこかに大切に保管されているはずだ」と励まされました。

そうなのであれば、根気よく探していれば、いつか見つかるかもしれないと思い、このウェブサイトを立ち上げ現在に至ります。

しかしながら、里平鍬四郎の頭骨の手がかりは現時点で何もありません。探すあてもありません。このウェブサイトを見てくれた誰かが、また別の誰かに広めてくれて、いつか里平鍬四郎の頭骨を知っている誰かにつながるその時を待つしか、今の私には手段がありません。